腐儒の言語学
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2017年11月1日水曜日
記事の分類について(大雑把)
掲載した記事が増えてきたので、内容別に分けてみました。
大学生からの言語学に関するQ&A
講義に出席している学生からの質問に答えたものです。
言葉の質問箱
ネット上で受けた、言葉に関する質問と、その回答集です。
自閉症と言語について
自閉症者が取得する言語について書いた記事です。
バイリンガルについて
質問者が多かったので、まとめました。
方言について
こちらも質問者が多かったので、まとめました。
日常
筆者の日常に関する記事です。日記のようなもの。
2016年10月31日月曜日
腐儒の言語学(129) 発音・清濁の対立
Q.
「か」は「が」(有声化)しても口が閉じない(調音点が同じ)のに、「ふ」が「ぶ」になると、口を閉じない(調音方法がかわる)と言えない。何か理由があるのか?
A.
「k」と「g」は、ともに、軟口蓋・破裂音です。
前者は「無声」後者は「有声」の一点だけが違います。
声帯の振動以外の、音のつくりは全く同じです。
しかし、「f」と「b」は、調音点が唇であることだけが共通点で、他は全然ちがいます。
「f」は、両唇・摩擦音・無声で、「b」は、両唇・破裂音・有声です。だから、口の動きも違います。
実は、ハ行とバ行は、清濁の対立の点で、音声上破綻しています。
濁音「b」に対して理論上予測される清音は「p」です。歴史的に、日本語のハ行音は「p>f>h・f」の変化を生じ、「p」の音がなくなってしまいました。
その結果、音声的には対応しない音が、音韻上清濁の関係にあると位置付けられることになっています。
(質問のしかたは分かりにくいが、着眼点はするどい)
腐儒の言語学(129) 「ばか」「ばかじゃないの」
Q.
同じ単語でも、次に来るコトバで、音が変わるのはなぜ?
例.「ばか」「ばかじゃないの」
A.
語頭にくらべて、語中の音は単語の弁別に寄与する度合いが低いので、しばしば発音がゆるくなります。
「ば」は正確に発音されますが、「か」以下はゆるんでも通用します。
「ばぁじゃなぃろ」ぐらいゆるませても、いけそう。
腐儒の言語学(128) 「ん」「っ」
Q.
「ん」のほかに、実際の発音に違いがあるものは?
A.
「っ」促音も、違います。また、「きた(北)」「~です」の発音は、東京語の場合、ほとんど「kta」「des」となり、実際には母音が発声されていません。
また、ほとんどの子音は後続する母音の種類によって、調音の位置がズレますので、厳密には違う音です。
腐儒の言語学(127) 腹話術
Q.
腹話術は口を動かさないで発音しているように見えるが、その音声は、厳密には日本語の発音と違うのか? 他言語でもできるのか?
A.
厳密には、
「①ほんの少し口を開き」
「②下あごを動かさないで」
「③唇の動きをみせないで」
発音します。
②により、母音の発音が窮屈ですが、舌の位置によって母音を区別してつくります。
そのため「あ」などは、微妙にくもって聞こえます。
子音は大抵出せますが、③により「唇」をつかう「パ行・バ行・マ行」が困難です(普通できません)。
うまいヒトは「上の歯」と「下唇」(英語の「f」と同じ)で、これらをつくります。
大半の音は普通の日本語の範囲ですが、本当はちがう音もあります。
それらを、つかう単語をつかわない、語頭に出さない、アクセントのつくところにおかない…など、発音のゆるみ・ズレを許容しやすいように工夫することが必要です。
技術よりも台本の方が大切かもしれません。
ちなみに、どこの言語でもできますが、音とコトバの工夫は必要。
腐儒の言語学(126) 自閉症と言語
Q.
自閉症の方のための音声ソフトは開発されていないのか?
A.
自閉症にかぎらず、声を失った人のための発話装置はあります。
音が出る文字盤レベルのものから、文イントネーションまでつけられるものまであります(物理学者のホーキング博士が使っているようなやつ)。
自閉症の場合、前述の統合機能の問題以上に、情報への関りに問題があることが多いので、いかにしてコミュニケーションの場に立つか、の方が問題になることが多いと思います。
腐儒の言語学(125)
Q.
後天的に耳が聞こえなくなった人も、しゃべるとちょっと違う感じがするがなぜか?
A.
われわれは、つねに自分の発音を聞きながら、話しています。
つまり、自分の発声をとらえて、微調整が働くわけです。
その機能がないと、音の高低・強弱などが、少しずれます。
それが気にかかるわけ。
腐儒の言語学(124)
Q.
耳の聞こえないヒトはどうやってコトバを習得するのですか?
A.
確かに「音声」情報に接することはできませんが、脳の中での「音のイメージ(音韻)」に相当するものを形成することはできます。
また、世界からの情報を「単位」にわけること、それを組み合せることもできます。
したがって、コトバの「音声」部分をのぞいて習得可能です。しかし、「文字」や「手話」がなければ、能力があってもつかえないことになります。
腐儒の言語学(123)
Q.
耳が生まれた時から聞こえない方も、健常者と同じ「音声」を作りだすことができるのか?
A.
できるとは思います。
ただし、自分の聴覚で、それをとらえることはできないので、かなり難しいのは確かです。
よい指導者と訓練が必要です。
また、会話をするとなると、相手の話を理解する必要があります。
それには、読唇術を身につける必要があります。
この二つの技術を獲得するのは、相当苦労します。
それより、健常者が手話を覚える方が、はるかに容易です。
腐儒の言語学(122)
Q.
人格はコトバに左右されていると思う。
もし、コトバがなかったら、今ほど「千差万別」な思想をもった人間ではなくなるのか?
A.
二つの相反する力が働くことになります。どちらもロクでもない結果です。
互いが理解し合えるのはコトバによるところが大きい。コトバがなければ、理解し合えない。ということは、情報の共有度がさがり、固有度があがる。つまり、より人と人は個性的になる。
しかし、コトバという、情報処理手段がなくなれば、ヒトの処理できる情報量は低下する。つまり、どんな人も大して情報を所有していないことになる。量が低下すると、当然多様性も低下する。よって、互いのちがい(個性)は低下する。
なお、質問にあるように、ヒトは「千差万別な思想」を、本当にもっているのか?
話してわかる程度なら、聞く方にも同じ思想がすぐにできあがる(あるいは、すでにある)と言うことじゃないか?
ヒトは生まれながらにして個性的なので、コトバによる他者との交流は、むしろ一般性を高める(個性を低める)機能をもっているのではないか?
腐儒の言語学(121)
Q.
コトバを知らない赤ちゃんが、母のお腹の中にいる様子を覚えていると言うのは本当か?
A.
胎児には感覚器があり、快・不快を感じ、自発的運動もしています。すでに脳の情報処理活動はありますので、記憶していても不思議ではありません。
ただし、後年の言語化された記憶とは異なります。ウチのムスメ(当時一歳半くらい)に聞いてみると
「チャプチャプしていたの」
「ストーンと高いところからおちて生まれたの」
などと言っていましたが、意味するところは解析不能です(ちなみにこれらはよくある答です)。
なお、カンガルーはオトナでも、袋につっこむと、落ち着いておとなしくなります。
腐儒の言語学(120)
Q.
コトバは今も変りつづけているのでしょうか?
気づけないのですが、そのようなことを考える必要があるか、も疑問です。
A.
コトバは今も変りつづけています。コトバをつかう一人間としては、気づけなくてもかまわないと思います。
ただし、社会に埋没していると、「社会を外から観察して」のみわかる「仕組み」や「規則」が見えません。
大学は、自分の利害や日常から離れて「社会を外から観察できる」能力をきたえるところです。
腐儒の言語学(119)
Q.
時代の流れによって「発音」が変化するのはわかるが、発音がかわらないのに、意味が変るのはなぜ?
(例.あからさまなり)
「発音」と平行して意味もかわるのか?
A.
「ぜんぜん」という副詞があります。
① 明治以前、漢文で「まったく」という意味の副詞。
② 明治以降、口頭語になった。
「全然賛成だ」「全然悪いです」と、状態の完全性
を述べた。
③ 大正期頃、「全然よくない」「全然だめだ」のように、
「否定的意味」と呼応。
④ 昭和前半、「全然~ない」のように「否定」と呼応す
るよう、固定化。
⑤ 昭和後期~、「否定」との呼応がゆるむ。
同時に、「比較構文」「比較判断の文」に適合。
「こっちの方が、ぜんぜんかわいい」
「ちょっと、まずかったかな?」
「ぜんぜん、いいよ。気にしないで」
文法の体系・語彙の体系は、時代の要請と、システム自体の明晰化を目指して、変化をつづけます。
語彙量が増えれば、意味の分担方法がかわります。文法が分析的になると、意味が切り詰められます。
「発音」以上に変化が激しい分野です。
なお、発音と意味は、別々に変化します。
2016年10月2日日曜日
腐儒の言語学(118) 過去の発音は、どうしてわかるのか
Q.
過去の発音は、どうしてわかるのか?
A.
日本語の場合は、奈良時代は「万葉仮名」の
「漢字音(中国語の発音)」から。
平安時代は、中国語やサンスクリットの韻学書
(音の研究書)の記述から。
また、「かな文字」の使用法から。
室町末期は、キリシタン資料のローマ字記述。
また、日本語学習書の記述。
江戸時代は、外国資料と、韻学・かな遣い、
などの研究書から。
腐儒の言語学(117) 漢文学習に意味はあるのか?
Q.
高校で漢文を習っていたとき、友人が、
「こんな文章は現地も読まないから、やっても意味はない」
と言っていたのですが、本当ですか?
A.
「漢文」は、もともと「古代・中国語・文章語」です。
中国古典はこの文体で書いてありますので、それに関心のない人には無用です。
今の大体の中国人もほとんど読めません。
しかし、「中国古典文化すべてに意味がない」と言い切る東洋人は、およそ教養があるとは思えません。
漢文学習は、東洋古典の扉のカギになります。
もっと大事なことがあります。
「日本語」はかつて文字のない言語でした。
「漢字」と「漢文」を手に入れて、「記録」というものがはじまったのです。
仮名文字ができるまで、そしてできてからも、一部の文芸作品を除いて、漢文で記録してきたのです。
日本の言語文化の半分以上は漢文によります(貴重な資料なのに、読んでもらえないものが、たくさんあるのです)。
日本の過去を知るには、漢文で書かれた文書・文献を読むことが必須です。
漢文学習は、日本の歴史の扉のカギにもなります。
「日本の歴史すべてには意味がない」と言い切れるでしょうか。
「漢文教育」と「古文(仮名文体)教育」は、誰にでも、日本・東洋の文化の入り口のカギを与えるためにあります。
これなしでは、受け売り仕事しかできませんので、興味のある人には最重要のスキルです。
たしかに教育カリキュラムと教材はあまりよいとは思えませんが、
君の友人のことばは、単なる無知と欺瞞です。
腐儒の言語学(116) 「こんにちは」
Q.
「こんにちは」は「こんにちわ」と書いてはいけないのか?
A.
「は」を「wa」と読むのは、係助詞の場合に限定されます。
この場合は、挨拶の定型句となっており、もう係助詞とは言えません。
従って、規則に従えば「こんにちわ」と書くのが「正しい」。
しかし、古いかたちをつかいつづけている人が多数なので、「こんにちは」と書くのが「一般的」。
2016年10月1日土曜日
腐儒の言語学(115) 文章と文字
Q.
昔の書物を見たりすると、漢字だらけのものや、漢字とカタカナの組み合せの文章です。コトバに対応して、文章の文字も変化しているのでしょうか?
A.
文字と文章について言えば、日本語の不幸な歴史の結果です。
① 日本語に文字はなかった。
② 国家の成立とともに、情報の管理の必要性と、情報量の飛躍的増大が生じた。
③ 情報記録の技術として「漢字(中国語の文字)」を導入した。ただし、それは日本語に対応しにくい文字であった。
(不幸のタネ)
④ 「漢文(古典的中国語)」で文書を作成した。
この結果、近代にいたるまで、公文書は「漢文」で書かれます。
⑤ 平安初期、「日本語」の文字として、「ひらかな」「カタカナ」が開発された。
A.「ひらかな」により、「日本語」の「文章語」
(和文・古文)ができた。
B.「カタカナ」により、「漢文」を訓読した形式の
文章体(漢文体)ができた。
⑥ 「漢字」が「訓」をもち、日本語と対応するようになった。
C.日本語ベースの漢字文(変体漢文・記録体)
ができた。
⑦ 以上、三文体を用途によって使い分けた。
また、中世以降、三文体を折衷した漢字かなまじりの「和漢混淆文体」もできた。
⑧ 平安時代頃できた、これらの書式を近世まで、使いつづけたので、言文不一致が生じた。
コトバに対応して、文章の単語はかわりましたが、文字や書式(文法・様式)はあまりかわりませんでした。
史学科で日本史や東洋史を学ぶには、B・Cに習熟することが必須です。
2005年06月23日
腐儒の言語学(114) アルファベットで書き表す言語
Q.
アルファベットで書き表す言語は英語を代表とするが、ドイツ語、イタリア語、フランス語など、アルファベットで書き表す言語は、英語がもとになっているのですか?
A.
すごい質問です。
(ちょっとアタマがクラクラしてきたが、気を取りなおして)
① アルファベットは古代フェニキアの文字が原型です。
② 当時、文明の後進地域であったギリシアはそれを導入して文字を獲得しました。
③ それは、イタリア半島エトルリアに伝わり、さらに新興勢力のローマに伝わりました。
④ ローマ帝国の公用語は、ラテン語・ギリシア語の二種でした。ギリシア語はキリル式(現在はロシア語など)、ラテン語はローマ式のアルファベットです。
⑤ 帝国時代、帝国外のフランク、ゲルマン、スラブなどの諸言語は文字を持っていませんでした。そして、言語の記録手段として、ラテン語・ギリシア語の文字アルファベットを借用しました。(厳密には、各地で、ルーン文字など独自のアルファベットが存在したが、ラテン文字に負けた)
⑥ イタリア語・スペイン語などロマンス諸語はラテン語の後裔と言えますので、比較的うまく適合しました。
⑦ ドイツ語などのゲルマン語は、ロマンス諸語と距離があるので、はっきり言ってローマ式アルファベット(ラテン文字)には、あまり向いていません。「sch,ch」の子音とか、ウムラウトの母音とか、運用方法の工夫と加工が必要です。
⑧ ゲルマン語の一方言であった英語にも同様のことが言えます。
八母音ぐらいあるのに、アルファベットには五母音しか用意してありません。しかも、文字獲得後、英語は音韻体系を大きく変え、しかも、フランス語・ラテン語などから大量の語彙を導入しましたので、「綴り」と「読み」が大きくくい違うことになりました。コトバと文字の関係では、英語は相当にヒドイ部類に属します(すぐには読めない)。それは、言語文化で後発であった、他民族の影響をうけつづけたこと、など苦難の歴史の投影です。
このような事例を見れば「コトバと文字は別物だ」とお分かりいただけますかね。
腐儒の言語学(113) 何故、東北方言より関西方言の方が優勢なのか?
Q.今の社会で何故、東北方言より関西方言の方が優勢なのか? 文化・言語・国民性?
A.
①人口:日本人の半分以上は関東圏にいます。
残り半分の半分以上は関西圏にいます。
②経済力:人口は産業の要求に従って集中しています。
③情報・文化:都市に基盤をおいて情報が発信されます。
発信地のコトバは広まりますが、受信一方のコトバは広まりません。
腐儒の言語学(112) 他の国でも日本のような共通語はあるのか
Q.
他の国でも日本のような共通語はあるのでしょうか?
A.
あります。というより、中央語で地方語を制圧した事例が多いですが。
フランス・イギリス・ドイツ・イタリア・スペイン・ロシア…、地方分権国家を(強引に)中央集権国家に編成しなおした国では、ほとんど強力な単一言語政策を行っております。
日本はそれを見習ったわけです。
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