2016年10月31日月曜日

腐儒の言語学(122)

Q.人格はコトバに左右されていると思う。 

もし、コトバがなかったら、今ほど「千差万別」な思想をもった人間ではなくなるのか? 


A.二つの相反する力が働くことになります。どちらもロクでもない結果です。 

 互いが理解し合えるのはコトバによるところが大きい。コトバがなければ、理解し合えない。ということは、情報の共有度がさがり、固有度があがる。つまり、より人と人は個性的になる。 

 しかし、コトバという、情報処理手段がなくなれば、ヒトの処理できる情報量は低下する。つまり、どんな人も大して情報を所有していないことになる。量が低下すると、当然多様性も低下する。よって、互いのちがい(個性)は低下する。 

 なお、質問にあるように、ヒトは「千差万別な思想」を、本当にもっているのか? 

 話してわかる程度なら、聞く方にも同じ思想がすぐにできあがる(あるいは、すでにある)と言うことじゃないか?

 ヒトは生まれながらにして個性的なので、コトバによる他者との交流は、むしろ一般性を高める(個性を低める)機能をもっているのではないか? 

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