表題は「イギス」である。イギリスの誤植ではない。
承前,帰省中の親族会議。70歳になった「むかしのお兄ちゃん」たちと,刺身をつつきながら話し込んでいたのだが・・・,
「しかし・・・,こんな生魚を,ここで食う日が来るとはなあ・・・」
わが故郷は,播州の山の中である。瀬戸内海も日本海も遠い・・・。もともと,海の魚は手に入らない。危ないから,生ものは基本食わない。
「海の魚と言えば,塩鯖,鰯の丸干し・・・」
「ときどき,明石から鮹を売りに来てたなあ・・・。
塩でもんで,酢蛸くらいかなあ・・・。うまいもんではなかった」
みなさん,そのせいか,外に出ても生の魚が苦手である。ただ,都会の料亭などで出される刺身で,ようやくにして目覚める。しかし,子どものころからのクセで,刺身のつまにつくミョウガや大根ばかり食ってしまう・・・。
「おまえのオヤジさんは,海の出やないか?」
ワタシの父は鳥取の海辺の町から養子に来ている。夏は,たいてい里帰りについていった。三食のおかずはほぼ海産物である。
「食べられたか?」
「生臭くて,食べられません・・・」
「難儀やな・・・」
「いや,なんとか,食べられたのが,軒先にぶらさげてあるカマスの干物。
アゴ(飛び魚)の竹輪,それとね・・・イギス」
「イギス? なにそれ?」
「ご存じないでしょうね。海藻です」
子どものときに記憶したものの,後でいくら調べても,見つからなかった食品である。しかし,正倉院文書で,奈良時代の写経生に出された食事の中に見つけた。
布乃利一両、心太・伊岐須各二分
(ふのり一両,ところてん・いぎす各二分)
たぶん,海辺の村から都に送られたものが,写経生の給食として出されたのであろう。海の味がするが生臭くなく,苦味がある。
「奈良時代からあります。むかしは,都にも来ていたようです」
「食い物は土地と時代によってちがうんやなあ・・・」
そう,そんな当たり前のことも,故郷にだけいると,わからないことではあった。ずっと山の中に土着しているウチの母など,刺身を食うと吐く。
「東京で鍋焼きうどんを食う関西人がおりますが・・・」
「ああ,あれはアカン。真っ黒な汁で・・・。煮立ててしもて・・・」
「しかし,鉄鍋で,エビ天なんぞを放り込んでやると,それはそれなりに・・・」
「なんか,うまそうやな」
そう,「同じ鍋焼き」ではなく,「ちがう鍋焼き」なのだ。ただし,なかなか自分の「単なる習慣」が捨てきれない。時代の進歩は,山奥の村で,新鮮な海の幸が味わえるようになってしまっているのだ。
「・・・というわけで,お刺身,ごちそうさまです」
ところで,イギスは,今では,ネットでご尊顔を拝することができるようになった。通販までしている。
http://www.apionet.or.jp/kurashiyoshi/shop/kigyo/marukura.php
しかし,このイギスという原材料の海藻,浜辺でいくらでも打ち上がっていたそれだと,40年経った今,やっとわかった。
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