2016年8月8日月曜日

腐儒の日常(731) 「人に非ず」


日本むかしばなしを1つ書き残しておく。 

帰省すると,親戚に呼び出された。71歳のシゲユキさんが,会社の経営をなかば引退して生家に帰ってきている。 

 「公民館に行ったら,村の古い地図が出てきたんや。 
  地名は今も同じやが,となりの集落のMと川向かいのNが載ってなかった」 

土地の人間なら知っている。MとNはいわゆる「部落」である。九州から来た,その奥さんが聞く。

 「そのころは未だ村がなかったの?」 
 「んなわけあるかい。江戸時代からある。おまえ,『非人』って知ってるやろ?」 
 「習ったことはあるわ」 

 「文字通り,『人』やないから,そこに住んでいても『村』やないねん。 
  ワシが子どものころは,MもNも『河原(かわら)』と呼んでた」 

いまは,豪勢な家が建ち並んでいて,その面影はないが,わたしの記憶には昔の姿が残っている。 

 「家が・・・,道より低いところにあります。 
  土間があるけど,黒土の三和土ではありません。そこらへんの赤土です。 
  乾くと土埃,湿るとドロドロ。畳のない板の間・・・」 

シゲユキさんの記憶と重なるらしい。 

 「そうや。まあ,子どもはそういうことは気にせんから,遊びには行ってた。 
  そこの祭りの日に,ともだちに誘われて行ったことがある。 
  本家のリキチさんに連れられて行った」 

リキチさんというのは,ワタシの曾祖父である。 

 「ごちそうを出されたから,よばれようと思たら,リキチさんに怒鳴られたんや。 
 『こら,シゲっ! 食べるな。 
  こんなもん,牛や馬の食いもんや』 
  部落の人を前にして,そんな風に言うんや。信じられんかったわ」 

生の部落差別を目の前で見た衝撃である。ちなみに,シゲユキさんは,一代で村一番の「分限者」になったリキチさんをたいそう尊敬していた。大好きな人の信じられない一面で未だに覚えているらしい。 

 「まあ,リキチさんだけではなかった。ウチら田んぼがあるやろ? 
  田植えや稲刈りに小作を雇う。昼になったら,飯を出すわな。 
  で,センジさんとこに手伝いに行ったときのことや」 

センジさんというのは,シゲユキさんの伯父である。分家の惣領。 

 「ワシら親戚は,板の間で飯食うねん。 
  センジさんは主やから,畳で1人で飯食うてるわ。 
  それでな,部落から日雇いが来とるんやけど, 
  この人らは『地べた』で飯を食べさせてるんや」 

リキチさんの孫にあたるトシユキさん(70歳)が応ずる。 

 「そやったなあ。地べたでごはん食べてる『知らん人』らがおったわ」 

リキチさんも当然,地べたで食わせていたらしい。リキチさんの跡取り息子は,ミネイチ先生であるが,この人は地元の学校の校長だった。 

 「ミネイチ先生は,さすがにそんなことはせんかったやろ?」 
 「うん,お父さんは,その人らに『座敷で食べてください』と言うてたわ。 
  せやけど・・・」 

 「?」 

 「言われて座敷に上がった人を,見たことない」 


「同じ人間なのにねえ」と,シゲユキさんの奥さんはため息をつくが,これには,土地の人間は即答する。 

 「同じやないんや・・・」 
 「なんで?」 

隣村ではあるが,コトバが全然ちがう。発音・アクセント・敬語・・・。つまり「よその人」。そして,学歴・職歴がちがう。経済状況が全然ちがうからである。 

ちがうけれども,人間としては平等である,とは思っている。しかし,その上の世代は,ちがっているから,平等ではない,と確信している。 

わたしにも,MやNの友人はいた。が・・・長続きしたことはない。家に呼ぶと大体おわるのだ。ワタシの生家は,上記のリキチさんの屋敷である。八畳間がつながる表座敷なんぞに上げると,小一時間もすれば顔色が悪くなってくる。子どものころには,わからなかったが,今ならわかる。 

 「自分たちとは違う人間だ」 

と,空間から圧力を受けるのだ。座敷に決して上がらなかった50年前の小作の人たちも同じだったのだろう。 

すべて国民は、法の下に平等であつて、 
人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、 
政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。(日本国憲法第14条) 

これが公布されたころのお話しである。 

「国民に基本的人権なんぞ要らない」と言っている人は,こんな世界であったことを知っておくのがいいと思うぞ。 




2016年08月07日

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