2016年8月1日月曜日

腐儒の言語学(44)



Q.いろいろコトバに関することをつっこんでいくと、わけがわからなくなります。

質問するにも、何がわからない、というより、すべてギモンになりそうです。

この授業は最終的に何を吸収できればよいのですか? 



A.コトバのように「わけがわからない」ものを基盤にして、君は生きています。ちょっと、考えてみると、理屈を理解していることなど、微々たるものである、と気づきます。これを「無知の知」と呼びます。 

 さて、その「わけがわからない」ものに、君は「知らん振り」「無視」をするか、少しでも理解しようとするか? 

前者ならば、おそらく君は自分の理解できない物事や人間を、「無自覚のうちに否定する」思考法を採用しているのでしょう。

そのしくみは、現代社会で問題となっている「反知性主義」「原理主義」と同じものです。

「無知」と「思考停止」がどのような結果を生み出しているか、ご存じだと思いますが、同じしくみをもつ君も、迷惑度の差こそあれ、似たようなことをするでしょう。君は、本当にそれでも良いのか? 

 この授業は、「わけがわからない」存在を、「知らん振り」「無視」「否定」せず、見つめる、理解しようとすることを促がすためにやっています。

そして、「わけがわからない」ものにも「明晰な理論」が存在していること、しかし大抵の人間は「自分の話すコトバ」についてすら「何も知らないこと」を自覚してもらいたいと思います。 

 人間は学び鍛えなければ、自由にものを考えることはできません。大学(この授業も)は、君たちが「より」自由に生きるための訓練場です。

ちなみに、脳のハードとソフトの成長から言えば、君たちの年齢が、自分自身の「構造改革」のほぼ最後のチャンスです。「何を吸収するか」は、君の問題です。私の答える問題ではありません。 



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