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2016年8月8日月曜日

腐儒の日常(730)


大河ドラマ「真田丸」では,先週,関白豊臣秀次が自害となった。今回の秀次は小心・善良キャラである。脚本家は新しい研究成果を取り込んでいる。


過去の情報というのは,書き残されたものしかないわけであるが,秀吉側から書かれたものに作為がないとは言えない。「悪逆非道」というのは,粛正した側の理屈である。連座してなくなった,家老・木村常陸介や,美少年・不破万作などは,草子ものでは悲劇的なスターである。


民の語るところと,公式記録との不整合があるわけだが,古文書などで具体的な事実が明らかになると,少しずつ,正確な像を結ぶようになる。


わたしは,歴史そのものには疎いのであるが,コトバの記録というのは,内容をともなうので(当たり前だな・・・。ふつう,なんか伝えるために書く),事のついでにヘンなことを知ることがある。


大学院生のころ,『白氏文集』の古点本の演習をしたことがある。日本人は漢文を「訓読」するのであるが,返り点などは江戸時代の訓法であり,古い時代にはテニヲハなどを特殊な朱点を打って訓読指示していた。これを「点本」と呼び,平安鎌倉期のものを「古点本」と言う。


まあ,訓読というものは,翻訳なので,解釈によってかわるし,先生が教えて学生が習うので伝統・流儀というものができる。われわれは鎌倉時代,幕府のあった鎌倉で訓読されたものを解読していたのだが,京都の博士家の訓法と比較する必要がある。違いが見つかったら,それは方言の差かもしれない。とても珍しい中世関東方言を発見できたりするかもしれない。


そのためには,『白氏文集』のいろいろな本を調べる。


『白氏文集』は,唐の長慶4(824)年から会昌5(845)年にかけて,何度も全集化されているものである。日本にまとまって伝わるのは,開成4(839)年に蘇州・南禅院に奉納されたものを祖とする。恵萼という留学僧が844年にその白居易直筆本を書写して持ち帰っている。それを筆写したものが金沢文庫に伝わる。

書写年代は新しいが,本文の性質としては,もっとも原形に近いので,当然参照しなければならない。

演習していたのは,『白氏文集』巻3と巻4,「新楽府」。白楽天のつくった新しい形式であり,社会風刺・政治批評を内容とする。平安日本において,大流行したところである。(・・・と言っても,古典好きな人でも,まあ分からんよなあ)


大部の『金沢文庫本白氏文集』の複製本を持ち出して,巻3・4を確認すると,



 Σ( ̄~ ̄;) あれ,なんじゃこりゃ? 



巻3・4だけ,本が新しい。仮名の字体が新しい。訓法が新しい。江戸時代の本じゃね,これ? 由緒ある金沢文庫本の肝心の部分が後から補充されている・・・。

書誌を確認すると,確かにそうである。

天正18年(1590年)豊臣秀次が,小田原征伐・奥羽平定の司令官として東国に下向の際,足利学校・金沢文庫などから古典籍を蒐集している。その時に,この巻3・4は持ち出されたらしい。おそらくは,京都の聚楽第に送られたはずである。

そして,文禄4年(1595年),秀次は切腹し,秀吉によって聚楽第は完全に破却される。蒐集された古典籍は消息不明となる。「切(きれ)」すらないので,消滅してしまったようである。しかたなく,金沢文庫は,欠落した部分を,当時の本を入手して補充した。

事情はわかったが,知らないことが生じた。



 なんで,秀次がこんなものを? 
 和学・漢学でもやってないと,価値がわからんぞ。 



とは思ったが,歴史そのものには,特に興味がなかったので,「何ちゅうことをしてくれてんねん?」と思っただけで,スルーした。どうせ,切りとって茶室の飾りにでもしたんだろう・・・と。


ただ,後々考えると,スルーしてよい話でもない。


飾りにするなら,琵琶行とか長恨歌とか,もっとメジャーなものがあろうに。新楽府は文章はキレイだが,中央政府を批判する骨太の詩文である(そういう人なので,流されたのである)。そこをもっていった,というのは,気にかかる。


翌天正19年,秀次は関白就任するのであるが,統治者には施政方針が必要である。そのために,参考文献の蓄積を要する(これは各地の大名も同じである。将軍家の紅葉山文庫,前田家の尊経閣文庫,細川家の永青文庫・・・)。たぶん,その文庫を聚楽第に構築していたのだろう。・・・というより,彼らに先がけて文庫形成をしていたのではないか?


戦国時代というのは,武人たちが軍事国家をそれぞれつくって割拠していたわけであるが,天下統一されたならば,中央政府が成立し,全国的に官僚統治が行われることになる。そのためには,官僚育成が必要であり,教育機関が必要である。そして,勉強するためには,教材蒐集が必要である。善本を蒐集・保管しようとするのは,官僚組織の形成と対となるものである。


秀次は,秀吉の意向とは関係なく,かような行動をとっているようである。彼自身の思想か,それとも,家老・木村常陸介の意志かは,わからない。後の江戸幕府のような組織構想があり,天皇を中心とする朝廷の復興構想があったことが推測される。


真田丸では小心・善良な文化人が,追い詰められて自害するストーリーとなっていたが,秀吉からは新政府樹立(謀反である)のように見える行動がないわけでもなかったろう。秀次の事跡は「完全粛正」されているので,わからないのだが,金沢文庫から『白氏文集』の二巻を持ち出すような何かをしていたはずである。