2016年8月8日月曜日
腐儒の日常(729) 「おいしい」と「うまい」はどう違うか?
「サッカーがうまい」とか「口がうまい」とかは,さすがに似ていない。この「うまい」は,「ビールがうまい」や「飯がうまい」とは別語と考えていいと思う。
まず,主語が全然ちがうのだが,それは「うまい」という評価の対象の差違である。それだけではない。
○ 彼は,サッカーがうまい。
× 彼は,ビールがうまい。
前者の「うまい」は誰にでも使えるのに対し,後者の「うまい」は基本的に「わたし」のことである。前者は文の主題がとれるのに対し,後者はとれない。潜在的に判断主体(わたし)が存在する。
つまり,味覚に関する「うまい」と,技能に対する「うまい」は構文が異なるのである。形は同じだが,別の単語と見なせるところである。
では,「味覚」に関する「うまい」と,同じく「味覚」を評価する「おいしい」はどう違うか? 案外むずかしい。「うまい」ものは,だいたい「おいしい」。
ただし,暑い日にビールをあおって,「うめ~~~ッ!」と言っている人がいたら,それはオッサンである。女性がつかうと,品位がない,と言われる。では,上品・下品で決まっているのかな? 「おいしい・ごはん」と「うまい・めし」はそれぞれ確かに相性がいい。
ものの本には「おいしい」は客観的な表現,「うまい」は主観的な表現と書いてあったりする。ただし,一口食べて「おいしい!」と驚くときがあるが,それは,主観的な感覚を客観的に驚いているのだろうか? 主観的・客観的というのは,単語のもつ意味の結果であって,本質ではない。
本質を解くのが学問の仕事であるが,この本末転倒は,しばしばある。説明としては正しいのであるが,収斂に向かわず拡散に向かう。方向性というものは論理的に理解することはできるのではあるが(つまり,学べる),手間がかかる。センスの有無があらわれるところ(速くて生産的)。
学生たちに問う。「うまいけど,おいしくないもの」あるいは,「おいしいけど,うまくないもの」そんなものがあるか?
「水とか空気は,「おいしい」とは表現しますが,「うまい」とは言わないと思います」
うむ,いいセンスだ。「うまい水」はまだありそうだが,「うまい空気」はない。
「なぜかな?」
「味が・・・」
そう。空気に味はない。また,「水」も味はあることはあるが,食品のような味覚に富むものではない。味がなくても「おいしい」ことはある。その意味するところは?
「なんでしょう?」
さすがに,難易度が高い。形容詞というものは,実は,レベルがある。
第一に,ものの属性を表すもの。「赤い」とか「高い」とか,まあ,見たり聞いたりするとわかる。
第二に,こころの様子を表すもの。「うれしい」とか「かなしい」などの感情形容詞。
第三に,身体感覚。「苦しい」とか「痛い」とか。
そして,この複合体として,評価を表すものがある。「いい」とか「わるい」とか,この「すき」とか「きらい」とか。この「おいしい」「うまい」も同様。これらは,ものの属性に対して,ひとが判断をすることでできる。
「うまい」は食べて,味を感じて,その感覚をもとに食品を評価するものである。「おいしい」は,この「味」の感覚を必須としないから,「水」や「空気」につかえる。そして,「食品」という枠をはずすと,
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このように,対象の評価ができる。コストに比して得るものがきわめて大きいのである。その全体を計算する部分が「客観的」と言えるだろうね。逆に,感覚に依存した「うまい」はそれは「主観的」になるだろう。
ちなみに,「おいしい」というのは,「お+いしい」。「お」がつくのは女房ことばである。「いしい」というのは,もともと「すばらしい,見事」という中世のことば。味覚の評価になったのは,近世のこと。
「うまし」も「うまし国」のように,「すばらしい,うつくしい」を表すことばが起源。ただし,上代から味に「も」つかう。
今日のような使い方になったのは,そんなに古くない。
味覚や色彩のことばは,人間の知覚に由来するから,ものすごく基本的なことばなのだろう・・・,と思って,研究した先達は数多いが,ほとんど討ち死に状態。むしろ,もっとも不安定な部分なのである。
「おい,このチューハイ飲んでみて。
すっげえ,やばい」
「ほんとだ。やばい」
そのうち,「うまい」「おいしい」にとってかわるかもしれない。( ̄▽ ̄;)
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